〈演目〉
シューベルト:ロザムンテより間奏曲 第3番
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 (ツィンマーマン)
ブルックナー:交響曲第7番
〈演奏〉
フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン、モーツァルト)
サー・サイモン・ラトル(ブルックナー)
もう食事はしっかり取れるのですが、どうしても倦怠感と熱がひどくて、前日のドレスデンにおける室内楽コンサート(ティーレマン)はキャンセルしてしまいました。
なんとかベルリンまで移動。とりあえず全て移動はタクシーを使いました。
この楽しい(はずだった?)旅も、このプログラムが終われば終わりになります。
ちょっと現実に戻る恐怖と、早く日本に帰って寝たいという気持ちが交錯していました。こんな気分になったのは初めてです。
というのも、ここまで酷く体調を崩したのは初めてだからです。
ご存知の方も多いかとは思いますが、このコンサートはもともとアバドが振る予定でした。
しかし、チケット発売前からアバドの状態が芳しくないと聞き、このコンサートもアバドで聴けることはないだろうな、と内心思っていました。
それでもツィンマーマンは降りないだろうと思い、アバドの死後、メインがラトルのブル7になってもチケットは予定通り購入しました。
アバドに対する特別な思いというのは人よりは薄いかもしれません。
ただ、2年前の5月にもアバド/BPh@フィルハーモニーで聴いており、非常にガリガリではあったものの、足取りがしっかりとして、BPhでは珍しくサインを求めてファンに囲まれても最後の一人まで丁寧にサインしていたアバドはもういないんだな、と思うと実感が湧きませんでした。
実演で接してきた演奏家が亡くなるというのは初めての経験ではないかと思います。
フィルハーモニー、ロビーこそアバド追悼一色で、過去から最近におけるパネルが至るところに飾られていました。
しかし、演奏会自体はアバド追悼色は薄く、黙祷なども特になし。最初のロザムンテが指揮者なしで演奏された後に会場がスタンディングオベーションで弔意を表した以外は普通の演奏会でした。
気づいた点といえば、ベルリン・フィルもカメラに多少うるさくなったこと。
とはいっても、日本のようにカメラを向けただけで係員が飛んでくるような感じではありませんでした。
携帯の電源を切れ、以外にも字幕でカメラは使うなと出たこと、係員がいる時にはカメラを向けている人がいるとジェスチャーでNGを示す程度です。
前半のプログラムではラトルや団員数人が客席や立ち見で演奏を聴いていました。
ツィンマーマンのモーツァルトは絶品で、これまたモーツァルトに開眼させられた気がします。
特に第2楽章はまさに至福の音楽ですね。
最近やけに涙腺が危うくなってきた(実際には泣いていませんが)と同時にモーツァルトも聴けるようになってきたのは偶然のタイミングなんでしょうか。
後半はラトルのブル7でしたが、やっぱり「ラトルのブルックナー」でした。
巧いし、音は鳴っているんですが、ラトルはppやpppがどうしてもmfくらいに聴こえてしまうところがあります。
弱音部のデリカシーが無い。大きな音は割れるくらい出せるのに、音に力任せなところがあり、BPhの威力を誇示しているように感じてしまうのです。
CBSOの時はそう感じなかったのですが、この傾向が顕著に出始めたのは2008年以降でしょうか。
そういうのもあって、ブルックナーには特に感動しませんでした。酷い演奏ではないものの、やっぱり力に任せた音楽。
演奏後はツィンマーマンの出待ちをしていましたが、警備員さんのまだ帰ってないよ、と言葉を信じて待ってみたものの、裏口から出てしまったようです。
そういえば、ネルソンスの初日も彼は裏口から出て行ったんだった、ということを思い出しました。
警備員のおじさんが一番出入りを把握していると信じていただけにショックでしたが、BPhの出待ちの難しさはここにあります。
「明日も明後日もやるから来ればいいじゃん」
→「いや、今日が最後のヨーロッパの日で明日のお昼にはベルリン発って、日本に帰っちゃうんだよね」
なんて会話を交わしてました。
ちなみにフィルハーモニーの楽屋口への通路らしき場所を見つけたんですが、顔パスで入れる人とそうでない人がいるようです。その基準が知りたいですね。
まあ、入れる人は皆お金持ちそうな現地の方みたいでしたが。その方たちが楽屋口から実際に出てきていたので、アーティストたちと会っていたのでしょう。
ツィンマーマンに会えなかったのは残念でしたが、不思議とそこまで悲壮感はありませんでした。
やれるだけのことはやった。これで演奏会も全て終わりなんだな。そういう思いのほうが強かったです。
以上、ヨーロッパでの演奏会の記録でした。
この後は #病床日記 でも書いたように、日本に無事に辿り着き、体調も快復しました。