コンセルトヘボウ主義

世界最高のオーケストラ、コンセルトヘボウのことを中心に、個人的に注目している演奏家や音源について書いていきます。

【コンサート】2026/10/03(Sat) ノット/都響@芸劇 相性の良さを感じた初共演

今日も #万難を排して

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今日発売のマラ9のCDも無事ゲット。
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ノットと都響は今回が初共演。スクリャービンの音響効果を意識したのかもしれないが、東響時代にノットがこだわっていた対向配置は今回は封印されていた。

冒頭の《フィンガルの洞窟》は、やや安全運転という印象。もちろん整ってはいるのだけれど、まだノットと都響との間に少し距離があるようにも感じた。

その空気が変わってきたのが、ブルッフ《スコットランド幻想曲》。

辻彩奈さんは冒頭から、伸びやかなのに実に心地よい美音。音に芯はあるのに耳へ刺さってこない。この人って、こんなに柔らかく美しい音を出すヴァイオリニストだったのか、と改めて驚いた。そして、それを支える吉野直子さんのハープも恐るべし。

第2楽章では、どうやら2nd Vnの弦が切れるハプニングがあり、ヴァイオリンを持ち替える場面もあった。それでも演奏は揺らがない。

そして奇しくも、その第2楽章あたりから都響の音が一気に乗ってきたように思う。それまで少し感じていたノットとの距離が縮まり、オーケストラ全体がひとつの方向へ向かい始めた感覚があった。

 

アンコールはエルガーの『愛の挨拶』

葵トリオも得意にしている曲。

 

 

後半のストラヴィンスキーは、響きの感触がスクリャービンに近いところもあり、いい意味で「いかにもストラヴィンスキー」という感じが薄い作品。その響きが、最後のスクリャービン《法悦の詩》へ自然につながっていくプログラムだった。

そして《法悦の詩》は、とにかくトランペット陣がうますぎる。

伊藤駿さんがソロ、岡崎さんが2nd、首席の高橋さんが3rdだったように見えたが、この並びなら本当に豪華。あれだけ金管とオーケストラ全体が膨張していく作品なのに、音がただ煩くならない。

かなり音響が飽和しやすい曲であり、ホールでもあると思うが、ノットと都響は耳に刺さらないギリギリのレンジまで鳴らし切っていた。そのコントロールは見事だった。

まだ初共演らしい距離感を残したまま弾いていた印象は否めない。それでも、都響の基礎能力の高さをここまで引き出したのは、さすがノットというべきだろう。

そして元同僚でもあるコンマスの水谷さんとの時間は、見ていてなんとも幸せそうだった。

 

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ノットと伊東裕さん


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水谷さんとがっつり握手


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伊東マニア


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アンコール

 

終演後は出待ち。

ノットは、私の顔を見るなり、

「あれ、髪黒くなった?!😂」

伊東裕さんのときとまったく同じリアクションをされる😂

「来週のブル6で会いましょう」

と言ってお別れ。

 

来週も楽しみ。

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【コンサート】2026/10/02(Fri) カプソン/ツァグロゼク/読響 @サントリー

今日も #万難を排して

 

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R.シュトラウスのヴァイオリン協奏曲は、若書きらしい野心に満ちた作品で、以前からかなり好きな曲。後年のシュトラウスほど爛熟した響きではないけれど、すでに随所に「ああ、シュトラウスだ」と感じさせる瞬間がある。

今回はカプソンの、深さがありながらどこまでも伸びていくような音色がとてもよかった。特に第1楽章は最高で、若々しい勢いのある音楽と、カプソンの豊かで伸びやかな響きがよく合っていた。華やかなだけではなく、音にしっかりと厚みと陰影があるのが印象的だった。

 

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後半はブルックナーの交響曲第4番。今回はコーストヴェット版だったが、正直なところ、自分にはこの版の良さを最後までつかみ切れなかった。

まず耳についたのが響きのバランス。コントラバスがセンターに配置されていたこともあってか、普段この曲で感じる低音の土台やオーケストラ全体の厚みがあまり感じられない。一方でホルンはかなり前面に出てきて、クレッシェンドも随所で強く意識させられる。そのため、音楽の起伏がかなりくっきりと、ある意味では露骨に聞こえた。

加えて、第3楽章で突然音楽が断ち切られるように感じる休止や、第4楽章のコーダ手前での休止にもかなり違和感があった。普段聴き慣れている第4番では、そのまま大きな流れの中で進んでいくところに、いったん明確な「間」が置かれる。そのたびに音楽の推進力が途切れるように感じてしまい、自分にはなかなか馴染めなかった。

それでも緩徐部分はさすがに美しい。静かに音楽が広がっていく場面ではブルックナーらしい時間の流れがあり、そこは素直に楽しめた。

ただ、これは単純に「この版は良くない」という話ではないのだと思う。スクロヴァチェフスキやロジェストヴェンスキーといった、独自のブルックナー像を強く打ち出す演奏を長く聴いてきた人には、むしろこうした違いそのものが面白く、刺さるのかもしれない。自分にとっては、慣れ親しんだ第4番とはかなり違う作品を聴いているような感覚が残った。

そして日橋さんは相変わらず神。特にソロパートでの繊細さは今回も別格で、ほんのわずかなニュアンスまで丁寧に表現してくる。ホルンが強く前面に出る演奏だっただけに、その巧さがいっそう際立っていた。

 

 

 

【コンサート】2026/09/19(Sat) ヴィオッティ/東響 フランツ・シュミット《7つの封印の書》

読響からのダブルヘッダー

こちらは #万難を排して

 

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フランツ・シュミットの《7つの封印の書》。タイトル通り、ヨハネの黙示録における7つの封印が次々と解かれていく作品で、そこに現れるのは戦争であり、殺戮であり、かなり絶望的な世界。それでも最後には救済へと向かっていく。

正直、一度聴いただけですべてが身体に入ってくるような作品ではなかったし、今回はほぼ予習せずに臨んだこともあって、細部まで理解できたとは到底言えない。それでも、絶望から最後の救済へと向かっていく巨大な流れは十分に伝わってきたし、そこに対するヴィオッティの大局観がとにかく見事だった。

 

2時間を超える巨大な作品で、オーケストラに独唱、合唱まで加わる。それだけの編成でありながら、各パートが非常に明瞭で、今どこで何が起きているのかがよく見える。個々の場面をしっかり描き分けながら、それがバラバラにならず、最後まで一本の大きな流れとしてつながっていく。このあたりはヴィオッティの強みが存分に出ていたように思う。

 

歌手陣にも素晴らしい人が多かったけれど、個人的に驚いたのは東響コーラス。これだけ長大で難しい作品を全曲暗譜で歌い切ってしまう。巨大なオーケストラを相手にしながら、単に背景として加わるのではなく、この作品の世界そのものを作る大きな存在になっていた。

 

シュミットというと、自分の中ではこれまで交響曲第4番くらいしか聴いたことがなく、それも強烈に印象に残っている作曲家というわけではなかった。だから今回《7つの封印の書》を聴いて、「シュミットにはこんな作品もあったのか」と知ることができたのは大きかった。

もちろん、一度聴いてすぐに好きな曲になったというタイプの作品ではないが、難解だから分からなかった、で終わるのではなく、もう一度聴いたら何が見えてくるのだろうと思わせるものは確実にあった。フランツ・シュミットという作曲家の見え方を少し広げてくれたという意味でも、いい機会になったと思う。

カーテンコールは2回。ヴィオッティ自身が登場したあと、もう一度歌手たちを連れてステージへ。これだけ巨大で難しい作品を真正面から取り上げ、最後まで大きな流れを失わずに聴かせてくれた演奏だった。

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終演後しばらく経って改めて思うのは、やはり難しい作品だったということ。難解な響きだからというより、あれだけ巨大な音響に圧倒されたにもかかわらず、旋律がなかなか自分の中に残ってこない。強く記憶に残っているのはハレルヤくらいで、そこも正直なところ少しくどさを感じた。

 

例えばベルリオーズの《レクイエム》なら、それほど繰り返し聴いていなくても《怒りの日》の音型やティンパニが炸裂する響きはすぐに頭に浮かぶし、まったく性格の違う《イタリアのハロルド》を聴いてもベルリオーズだと分かる。ブリテンの《戦争レクイエム》にも、聴いたあと耳に残る箇所がいくつもある。マーラーは言うまでもないし、現代のトーマス・アデスだって、聴けばアデスだと分かる。

 

そう考えると、自分にとって作曲家の魅力の一つは、その人にしか書けない音がどれだけ記憶に残るか、なのかもしれない。《七つの封印の書》には圧倒されたし、シュミットが並外れた力量を持った作曲家だったこともよく分かる。それでも「これがシュミットの音だ」というものを、今日の初聴ではまだ自分の中に掴み切れなかった。その掴みにくさこそ、この作品を「難しい」と感じた理由なのだと思う。

【コンサート】2026/09/19(Sat) 金川真弓/ヴァルチュハ/読響@東京芸術劇場

今日も万難を排して

 

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と言いたいところだが、渋滞でグラズノフには間に合わず。

余裕を持って出たつもりだったのだけれど、東名で事故渋滞にはまり、その後も故障車や自然渋滞が重なって池袋到着が大幅に遅れた。

それでもなんとかチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲には間に合い、今日一番のお目当てだった金川真弓さんは無事に聴くことができた。

 

金川さんのチャイコンは、もっとすっと前へ進んでいくような演奏を勝手に想像していたのだけれど、実際には思っていた以上にテンポを落としてじっくり歌わせるところがあり、少し意外だった。

特に第1楽章の中間あたりなど、ここまで時間を取るんだ、と思う場面もあり、いつもの研ぎ澄まされた印象だけではない、また違った一面を見た気がする。

もちろん音そのものはさすが。芳醇でありながら輪郭がぼやけることはなく、オーケストラが大きく鳴っていても埋もれない。

単純に音量が大きいというより、音の芯がこちらまできちんと届いてくる感じで、こういうところはやっぱり金川さんだなと思う。

 

そしてアンコールのプロコフィエフ《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》第2楽章が実に素晴らしかった。チャイコフスキー以上に、金川さんの繊細な音色や微妙な色の変化がそのまま生きる曲で、むしろ今日一番強く残ったのはこちらだったかもしれない。

細い線の中にもちゃんと芯があって、そこから少しずつ表情が変化していく。金川さんらしい音の美しさを改めて感じた。最後のピッツカートがアンコールにぴったり。

 

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後半はラフマニノフ《交響的舞曲》。

まず弦が本当に美しく、このホールでここまできれいに鳴るのかと思った。厚みがあるのに濁らず、ラフマニノフらしい暗さや艶がきちんと残っていて、読響の弦の良さがよく出ていたと思う。

そしてヴァルチュハで特に印象に残ったのが、場面ごとの空気の作り方。ハープが入ってくる前の、何とも言えない不気味さ。単に弱くするとか暗い音にするというだけではなく、そこへ向かって少しずつ空気が変わっていき、「何かが起こりそうだ」という気配を作っていく。その不穏さがかなり鮮烈だった。

一方でラストは、そこから一気にテンポを上げて突き進んでいく。その落差、メリハリが実に鮮やかで、ここはやっぱりオペラ指揮者だなと思った。音楽をずっと同じ温度で進めるのではなく、場面ごとに空気を変え、緊張を作り、あるところでは時間をたっぷり使いながら、最後は一気にドライブしていく。そういう場面転換の巧さが、《交響的舞曲》をかなり劇的に聴かせていたと思う。

 

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【コンサート】2026/09/18(Fri) 葵トリオ with フレンズ@白寿ホール ― 豊かな低音と、笑顔に包まれた『ます』

今日も #万難を排して

 

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白寿ホール久々だなと思ったら、記録上は2014年以来。

数え落としがなければ12年ぶり?

 

いやー、本当に芳醇な音で至福の時間だった。

前半はシベリウスのピアノ三重奏と、ヴォーン・ウィリアムズのピアノ五重奏。

葵トリオでシベリウスを聴いたのは、おそらく初めて。
シベリウスのトリオ自体、オーケストラ作品ほど聴く機会がないので新鮮だった。

 

そしてヴォーン・ウィリアムズ。

この曲を選んだのは、後半のシューベルト『ます』と同じ編成に合わせて、とのこと。

 

Vn、Va、Vc、Cb、Pfという編成、やっぱり低音が実に豊か。

特に今回は、この厚い低音の上で小川さんの音がよく映えていた。

小川さんは中域から上に向かって伸びていくときの音が本当にきれいなんだけど、今回はその良さがフルに活きていた感じ。

特に第3楽章。

ヴィオラ、チェロ、コントラバスの全奏から始まって、そこにVnソロが入ってくるところ。

ここが最高だった。

低弦の濃い響きの中から、小川さんのヴァイオリンがすっと伸びてくる。

そして、その後に続くチェロソロ。

伊東マニア🤤

ここは完全に持っていかれた。

 

前半だけでもうかなり満足だったけど、後半は『ます』。

こちらは音そのもの以上に、舞台上の雰囲気がとにかく幸せ。

幣さん、終始ニコニコ。

演奏している本人が本当に楽しそうなのが伝わってくる。

第3楽章だったと思うけど、チェロとコントラバスからヴァイオリンとヴィオラに音楽を渡していくところ。

ここで毎度、小川さんと村上さんが笑顔になる。

あれを見ているだけでこちらまで幸せになる。

室内楽なので奏者同士が目を合わせるのは当然なんだけど、単なる合図という感じではなくて、本当に一緒に音楽をやっているのが楽しいんだろうな、と。

こういう演奏はいい。

音が良いとかアンサンブルが良いとか、それだけではなくて、舞台上の空気まで含めて聴いている側に伝わってくる。

『ます』ってこんなに幸福な曲だったっけ、と思うくらい。

さすがにアンコールはなしだが、シベリウス、ヴォーン・ウィリアムズ、『ます』まで聴いて、完全にお腹いっぱい。

久々の白寿ホール、連休前の最高の夜だった。

 

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【コンサート】2026/09/15(Tues) ヴァルチュハ/読響 名曲シリーズ@サントリーホール

今日も万難を排して

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先週のマーラー6がかなりよかっただけに、今回は正直ちょっと期待外れ。

 

前半のシベリウスは、第3楽章は悪くなかった。むしろそこは普通によかったと思う。

ただ、第1・第2楽章はソリストがかなり表現のレンジを絞っていた印象。もちろん好みの問題もあると思うけど、自分には少し絞りすぎに聞こえた。

ソリストの持ち味とシベコンがあまり噛み合っていなかったようにも感じた。第3楽章は悪くなかったけど、第1・第2楽章はかなり表現のレンジを絞っていた印象で、これなら別な曲でもよかったのではと思う。アンコールもシベリウスとの関連性がよく分からなかった。

 

後半はショスタコーヴィチ10番。

木管と弦はよかったと思う。特に木管はかなりよく聞こえていたし、弦も悪くなかった。

ただ、先週のマーラー6に比べると、全体の見通しのよさはだいぶ落ちていたように感じた。

マーラー6のときは、各声部がかなり明瞭に鳴っていて、テンポの動かし方にもメリハリがあった。長い曲でも構造が見えやすかった。

今回はそこまでのメリハリがなく、タコ10の前半の長さがむしろそのまま出てしまった印象。

この曲、前半と後半のバランスの取り方が難しいと思うけど、第1楽章が少し冗長に聞こえてしまって、後半とのバランスもあまりよく感じなかった。

第3楽章のホルンも、冒頭からかなり明確に音を外して、その後もしばらく不安定だった。

生演奏なのでミスはあるけど、読響であそこまで分かりやすく崩れるのは珍しい気がする。しかもあの楽章ではかなり重要なソロなので、単発のミスとして流すには少し大きかった。

 

終演後、木管にはかなり拍手が出ていた一方で、ホルンへの拍手はそれより小さめ。ブーイングこそなかったけど、会場も多少は同じように感じていたのかもしれない。

 

あと、これは好みの問題もありそうだけど、最後のティンパニの音も少し粗く聞こえた。

締めとしてもう少し輪郭がほしかったところで、最後まで少し引っかかりが残った。

 

ブラボーは飛んでいたし、ヴァルチュハもカーテンコールに再登場していたけど、自分はそこまで残らず帰った。

自分の中ではこれは結構珍しい。

 

自分のコンディションもあるかもしれないけど、それでも今回は最後まであまり乗り切れず。

 

先週がよかっただけに、余計に落差を感じた演奏会。


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【コンサート】2026/09/13(Sun) ヴィオッティ/東響@オペラシティ――奇を衒わず、じっくりオケと向き合う

今日も万難を排して。

 

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今日は東京オペラシティで、ロレンツォ・ヴィオッティ指揮、東京交響楽団の演奏会を聴いてきた。

プログラムはスッペ《詩人と農夫》序曲、モーツァルトの交響曲第38番《プラハ》、シューベルトの交響曲第2番。こうして曲目だけ並べてみるとかなり保守的なプログラムで、いかにも「名曲をきちんと聴かせます」という感じなのだけれど、実際に聴いてみると、むしろそういうところがヴィオッティらしいのかなと思った。

 

まずスッペの冒頭から、なんとも言えないウィーン的な気品がある。音を必要以上に尖らせるでもなく、テンポやアクセントで何か新しいことをやっていると主張するでもないのに、ちゃんと空気が変わる。モーツァルトも同じで、最近よくある古楽寄りの軽快さや、かなり速いテンポで一気に押していく感じとは少し違って、全体としてはやや遅め。良くも悪くも昔ながらの演奏という印象だった。

 

ただ、それが古臭く感じられないのが面白い。

ヴィオッティは、何か変わったことをして自分の解釈を強く見せるタイプではないのだと思う。むしろ、作品そのものの佇まいを大切にしながら、オーケストラの響きを自然に整えていく。だから演奏を聴いていても、「ここがヴィオッティのアイデアだ」と思わせる箇所が次々に出てくるわけではない。でも気がつくと、全体に非常にノーブルな空気が漂っている。

 

本人の立ち姿や振る舞いもそうで、あまり「俺を見ろ」という感じがしない。作品があって、オーケストラがあって、その間に指揮者がいるという順番が崩れない。それが結果として、今回のスッペやモーツァルトに非常によく合っていたように思う。

 

そして今回かなり印象に残ったのが、東響の音そのものが良い方向に変わってきていることだった。

特に低弦が自然に鳴っている。

東響はもともとヴァイオリンや木管の美しさに魅力があるオーケストラだと思っているけれど、低弦が薄いと、その上の音が少し浮いて聞こえることがある。今回はチェロやコントラバスが無理なくしっかり鳴っていて、その土台の上にヴァイオリンや木管が乗ることで、むしろ東響本来の良さが前よりはっきり見えるようになっていた。

 

シューベルトでは特にそう感じた。

 

低い声部がきちんと支えていることで、上にあるヴァイオリンの響きや木管の色彩が自然に冴えてくる。何か派手にオーケストラのキャラクターが変わったというより、重心が少し下がって、全体のバランスが良くなってきたような感覚に近い。

こういう変化は、短期間で作れるものではないと思う。

 

こうして聴いてみると、ヴィオッティはやはり気を衒わずにオーケストラと向き合って、少しずつ響きを整えていくという点では、かなり長期戦向きの指揮者なのだと思う。

任期延長が発表されたのも、そう考えるととても納得がいく。

数年後に振り返った時、「この頃から東響の音が変わり始めていた」と思うことになるのかもしれない。短期的な派手さより、いつの間にかオーケストラそのものが良くなっている。そんな関係になっていくのであれば、今後はかなり楽しみである。

ヴィオッティと東響、しばらく継続して聴いてみたいと思った。

 

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次は土曜日のフランツ・シュミットの『7つの封印の書』