3時頃に目が覚めて、そのまま日記を書き始める。
日本に電話する用があったが、ちょうど4時半。でもちょうど日本は12時半でお昼休みで繋がらず。
力尽きて寝て、起きた時には8時半で、期限の16時を過ぎていた。
9時半から朝ご飯。
スクランブルエッグがあるのが嬉しい。
昨日食べた場所のテーブルの代わりにクリスマスツリー。
外はプラハで初めて見る雪。
日本ではちょうど将棋の竜王戦。まさに時代の分かれ目に差し掛かる対局で羽生竜王が通算100期になるか、無冠になるか、3勝3敗で迎えた最終局。
先手が圧倒的に有利と言われている現代将棋の中で互角以上に戦っている感。
バスは14時過ぎに出発なので、ホテルのロビーで1時間ほど時間つぶした。
手持ちが€50札しかないので、仕方なくCZKを下ろしてタクシーに乗り込む。
安心安全のAAAタクシー。ボディーの色は黄色。
後部座席に水が入っていたのはお客さん用なのか?
無事バス停前に到着し、発車位置を確認。
ライプツィヒ行きは1番乗り場。
軽くエスプレッソとケーキ。
チェコのケーキはとても美味しい。
14:10、無事にバスが出発。
お菓子が配られていた。
プラハといえば、といった感じでよく見る風景。
途中雪も降っていて、一箇所だけ急ブレーキ踏んでいたところがあったけど、IC BUSは安全運転なので怖くない。
16時半だけど、もうこんなに暗い。
ライプツィヒに近づくに連れて気温が上がっていく。
17:10、ライプツィヒに定刻で到着。
同じ旧共産圏でも、やっと戻ってきたという安堵感。
気温を確認したら7℃で、こちらにしてはだいぶ暖かい。
駅の中が旧共産圏のゴシック様式。
ライプツィヒに前回来たのは確か3-4年前。
ホテルまでは3kmほど離れた郊外なので、タクシーで移動。
ホテルに到着。
十分すぎるほどの広さで、2泊で1万円ちょっと。
ロケーションを補って余りある部屋だ。
時間が思ったよりあるので、寝ようかと思ったけど、眠くないので19時過ぎにゲヴァントハウスへ。
このホールに来たのは2008年以来なので、10年ぶり。シャイーの演奏会だったと思う。向かいの歌劇場にきたのは3-4年ほど前。
ニキシュ、フルトヴェングラー、ノイマン、マズアなどの歴代の指揮者の写真があった。
今日はご飯にありつけない可能性もあったので、ソーセージだけ食べる。
2代目ゲヴァントハウス。先の大戦で1944年に焼けてしまったが、世界一の響きと言われているコンセルトヘボウのモデルとなったホール。本当にそっくりである。
実際にコンセルトヘボウでは、ホールの知識のない建築家がそのまま模倣して作ったら、いい音が出てしまったらしい。
こちらが現在の3代目のホール。
1981年築。
造りがベルリンのフィルハーモニーに似ているので、意識して作られたのだろう。
こちらは初代のゲヴァントハウス。世界最古のオーケストラはここで生まれたらしい。
肖像画のみならず、歴代指揮者の胸像もある。
今日の席。2階の最前列で最高の席だ。
1階席はびっしり埋まっていて、2階席のサイドは割と空いていた。
ほとんどが地元の定期会員といった感じで、係員とも英語で会話することがなかった。
プログラムにはネルソンスのサイン会が12/22に行なわれると書いてある。
残念ながらその日はもう空の上である。
演奏会はワーグナーから壮大な音が鳴り響いていたが、ブル9が荘厳でハーモニーの美しさに思わず唸らされた。金管がこのオケってここまで鳴るのかというほど強靭。
特に両端楽章での表現が緻密で、これまでにない新しい発見がたくさんあった。
若干のキズはあったが、初日にしては恐るべき出来。明日も楽しみ。
一方で咳は仕方ないにしても、緩徐部分で鼻を噛んだり、第3楽章のコーダで全楽器が鳴り止んだ後に携帯が鳴って余韻ぶち壊して、ため息が出ていた。
でも日本人の不寛容さがないのか、袋叩きにあうことがないし、逆に感想用のメモを軽く取っていたのにそれには文句を言うおばさんがいたりとよく分からない。
鼻をすするよりは、噛むが是とされているのか、こちらの人々は容赦なく噛む。
演奏会は団員さんがビールジョッキやワイングラスを楽屋口に持ってきていたので、打ち上げがあった様子。
マエストロを2時間くらい待ってみたが、出てくる気配もなさそうなので、引き揚げ。
駅前まで歩く。
この電飾が共産圏のかおりがする。
お店も閉まっていたので、タクシーで帰宅。
25時近くになっていた。
明日はやりたいことが結構あるし、ホテルが快適なので出歩かないつもり。
コンサートも千秋楽で最後の夜なので、ネルソンスに会えると嬉しい。