7月中にDXCC 100を達成すると話して、無事7/27に達成した。
今は「夏枯れ」の時期で4-6月に比べると明らかに15fあたりでのコンディションの悪さを感じていた。
それでも達成したかった。
仕事でもそうなんだけど、いずれ達成できることでも期限感と目標を持ってその通りに達成できるように頑張ると、未知の領域に遭遇した時でもその達成のフィージビリティが分かるようになる。
このコーナーはいくつかに分けて書きたい。
前からHFはやりたいと思っていて、せっかく1アマ持っているのにと思いながらも、2021年末に自宅からHFに出ようとして設定もできずに失敗し、無線へのモチベーションがガタ落ちし、そのまま年末年始を迎えた。
うちは3階で標高は高くないが、遠くに中央道の車が見え、南西方向には晴れると富士山、さらに西には東京競馬場のスタンドが見え、一見FBな場所なのだが、目の前に強敵の電線がある。
これが「アパマンの宿命」「環境的に仕方ない」と言われて、
やっぱり引っ越すか、移動運用しないとダメなのかと思っていたところに救世主現る。
JI1UPL局である(コールサイン間違えるとすぐに指摘が入るw)。
最初に上げたのはATAS-120A+FT-991の組み合わせ。
彼はアナライザーを持ってきて、すぐに「エレメントとアース」両方が足りない、と現地指導。
近所のホムセンに部材を買いに何度か往復しながら、HFが出られるようにしてくれた。
最初に地元宮城の局と7MHzで繋がった時の感動は今でも覚えている。
うちの叔父はトラック野郎で、V/Uのモービル機で移動で使っていたが、IC-706も持っていた。
しかし、それでHFを出しているのを聞いたことがない。
「チョソンの声放送」や2850kHzの「朝鮮中央放送」の受信機になっていた。
それだけHFは近いようで遠い存在だった。
UPL局は純粋に無線が好きで、自分の好奇心や技術の向上、未知の領域への挑戦という観点でやっているのがよく分かる。
年齢は自分の半分くらいだが、尊敬する1人である。
これで無線へのモチベーションが戻った。
しばらくは関東UHFを挟んでからも、7MHzのSSBでPhoneを楽しむ日々が続いた。
関東UHFもHFを経験しているからこその新鮮さもあったし、終わったあとの燃え尽きがなかった。
この後自宅シャックを変えていくのだが、その話は次回。
この時はDXCCもFT-8も始めていない。
前者はワードすら知らなかった。